包帯の洗濯 [介護]
11/27(日)
昭和41年8月
祖母の介護
翌日から、接骨院の先生の往診が毎日続きます。
右大腿骨骨折で右脚は添え木で固定されて包帯がぐるぐる巻です。
毎日包帯の取り変えるためタライで洗濯して物干し竿は包帯の暖簾のようでした。
祖母の会話は元気なので「オデコさん」「ネズミいらずの中にギヤマンがあるから持ってきて」
当時は、古民家で食卓は土間にそして、ガス台・冷蔵庫・食器棚・茶だんす等々
初めて聞く「ネズミいらず」は、何の事か解らず「ギヤマン」だけを探していると
古い茶だんすの中にギヤマンがあり祖母の枕元に置き、ギヤマンの中は氷砂糖で好んでなめていました。
祖母は8人の子どもを産んだ時だけで元気で健康なおばあちゃんでした。
そのおばあちゃんが漬け物を漬ける塩が入ってる甕を腰を伸ばして取ったら手が滑って
右大腿骨骨折で寝たきりになるなんて
56年前の記憶を手繰り寄せて書いてますが、文章が成り立っていないと思いますが
いつもご覧いただきありがとうございます。
11/26(土)
妹宅に行った帰り道に、コスモスに会えてうれしい(*^^*)
バイパス側道沿い・・実際は黄葉がきれいでした。
初めての介護・ [介護]
(1966)昭和41年9月~(1970)昭和45年2月中旬までの
「初めての介護」の記憶を辿って更新したいと思います。
当時、私たちは社内恋愛で4月に結納を済ませて翌年の1月に結婚式が決まってました。
8月の暑い午後に「自宅に帰るように」と会社に連絡がありふたりで早退しました。
義祖母が漬け物用の塩の甕を棚の上から取ろうとして手が滑ってしりもちを・・・
「起き上がれないので大きな声で何度も呼んで呼んで助けてもらった」と祖母が話す
接骨医院先生は「右大腿骨骨折で、年寄りだから骨も枯れ木と同じだから手術は無理だね」と
この言葉は頭から離れません。
85歳の元気な働き者のかわいいおばあちゃんがこの日から寝たきりになりました。
私が21歳・主人26歳・義妹19歳の試練と苦難の道の始まりでした。
最初から最後までお世話になった「江戸屋薬局」さん
和服に白い割烹着姿の丸い眼鏡を掛けた女将さんでした。
最初に「尿瓶は、ありますか?」と尋ねると
「どうしたの?誰が使うの?」と「男性用と女性用あるけど」
初めての買い物は驚きだらけでした。
女性用の尿瓶(しびん)とブリキ製の便器もそして消毒用のクレゾール液を購入
当時お世話になった江戸屋薬局さん全景